締切期限間近なのに何もしたくない人類共通病について

大阪のどっかで尿意を限界まで我慢しながら撮った写真

 

大変ご無沙汰しております、ぶどう糖ですこんちゃ。

 

およそ1年半ぶりの更新ですが、記事を書く特別なきっかけがあったかと言われるとそういうわけでもありません。

この記事を書こうと思ったのはただの現実逃避をしたいからです。

いまやらないといけないことから目を背けて "今はできなくてもしょうがないんだ!" と自分の脳を誤魔化して、何かに没頭したいがままにこの投稿に至っただけです。これが俗にいう"先送り"が起こる原因なのかもしれませんし、そうでないかもしれません。

「失敗の最大の原因は先送りにある」となんかの本で読んだ気がします(わかりみが深い)。

皆さんも突発的にデスクの片付けをしだしたり、友人の急な誘いに「いけるわ!」とつい返事してしまったり、気分転換に散歩したり、一発ヌいて煩悩を捨ててみたりといった経験があるのではないでしょうか

 

ちなみに、私がなんの作業を渋っているのかといえば、研究室のゼミの準備です、

ゼミとは、研究室によって行う内容が異なりますが、私の所属研究室の場合は、それなりの量の論文をまとめて自分のオリジナルストーリーを組み立て紹介、議論する勉強会のようなものです。

では、なぜ私はそれをやりたくないのか、、

ここは底辺ブログに埋葬される最底辺ブログなので、関係者に絶対に見られない自信がある(閲覧回数は月1くらい)ので、安心して私がやりたくない理由を書けます。

・単純に作業の優先順位が低いから →別件のプレゼン資料作ったり、郵便局行ったり世界救ったりしてる

・発表時に先生陣に詰められる恐怖があるから(その後の関係も気まずい)

・後輩学生にレベチの質問力と理解不能な外国語をぶつけられる恐怖があるから

・そもそも果てしない知的労働がつまらないから →youはなぜ院に。。

・所属専攻全体に公開される(無能が知れ渡る)ため雑クオリティで提出できないから

・自分に都合の良い論文が見つからないから →あってはならないことです

・しかも1週間後には発表内容を忘れるコスパの悪さだから

・当然給与などの報酬はないから →これはしょうがない

・雨ふって天気悪いから今日じゃない →でかい

 

と、やりたくない理由を挙げ出したらキリがないのですが、とにかく今はできる環境にあるけどやりたくないんです!(みんな1ヶ月前から準備するらしいのに、私は一昨日から準備を始めました、え?提出日?明日だょ)

「そろそろやらないとマジやべーな」と少しづつ危機感を抱く日は、すでに過去にあったはずなのに、今何しているかといえば、はてなブログで恥晒しな現実逃避をしてる上、挙げ句の果てには、もう生きてるだけで幸せだよな!と考える境地にいます。どうせ地球もいつかなくなるし!!!

 

はい終わりでーす!!!!

 

 

 

。。。

はぁ、

なんて恵まれた贅沢な悩みなんでしょう、ほんと申し訳ないので、ちゃんと社会に貢献できる人間になろうと思います。

 

ということで(?)、やっと本題に。そんな仕事や勉強、家事などの"先送り"という人類共通病(であってほしい)とは、私たちはこの先どのように付き合っていけば良いのでしょうか。

まず前提として、誰しもが、社会や家庭で無限に湧いてくる悩みや仕事を、常に一人で抱え続けるとそのうち限界がきます。そんなんこないって脳内にスーパーコンピューターが埋め込まれてる人はもう帰って寝てください。
あふれかえった仕事に対して何から手をつけたらいいか分からなかったり、具体的に何をしたらいいか分からなかったりなど、瞬時に適切な作業内容の想像ができない仕事ほど、本能的な自己防衛の結果として先送りをしてしまうのではないでしょうか。

すべきことが先送りになってしまうのは、「大人だから」「私ならこの程度まで仕上げるべきだろう」という自身の心にある理想像が、作業の質(最終的な完成度)を決定してしまうことにあるのではないかと想像します。そのために、じゃあ何から手をつけていつまでに終わらすのかと、考え途中で思考が停止するために、結果として身動きが取れなくなる(正確には動くのが遅れる)ような気がします。

やはり「周りから良く見られたい」「スキルを向上させたい」「期待に応えたい」という気持ちがあるほど、結果として、ある程度クオリティのある状態で見せたい、この難易度をこなせるか試したい、中途半端に諦めたくない、と自身で仕事の出来高を設定しているのかもしれません。なぜそうなってしまうかといえば、これまでの人生経験で、"最低限一人でこなすことで経験値が上がり、周囲の満足度も高く褒めてもらえる"、ことを無意識に知っているので、自分の役割を果たしたことによる達成感による快感が背景にあると考えます。まるでLv.5がLv.30を倒すとたくさん経験値がもらえて褒められるように。

これらは決して悪いことではありませんし、むしろ成長において極めて重要なマインドです。

しかし、こだわりが過ぎることで、志に反してモチベーションが維持できない状況に陥ってしまうのは避けるべきで悲しくも本末転倒です。私たちは知っているはずです。だめだと思ったら、よりレベルの高い仲間と協力して目標を倒すことで、自身も同時に経験値が得られことを私たちは6匹の手持ちポケモン戦略を通じて知っています。目の前の課題に向き合っただけでも評価してもらえることを。

つまり、低クオリティでも途中で関係者から意見をもらう、雑談がてら仲間に状況を話す、悩んでいることを打ち明けてみる、ことが結果的に精神的にらくになります。その時、精神的にらくに感じた時点で、やはり一人で抱え込むことは向いていないと思い知らされます。

余計なお世話ですが、この時に自分の主体性を手放さない(人任せにしない)ことが極めて重要です。ここまではできたがこの程度で完成させて良いか、過去にはどんな対応をしたか、これは必要なのか、そもそもこれお前の仕事じゃね?のように、あくまでもこの仕事は私が舵を握っていることを意識する必要があります。時には、分担してくれたり、過去の資料を見せてくれたり、ここまでで大丈夫と具体的な作業範囲や解決手段を示してくれたりするもんです。

ひとりで一生懸命最後まで向き合う、喰らいつくのは、半分理想論的なところがあり、学校ではそれを讃えるし(むしろそうなれという風潮さえも)、漫画アニメでは主人公格として目立って描かれます。現実には、一人で潰れて自己を見失ってしまう割合の方が圧倒的に多い気がします。受験生の進路とか、大学生の就活とか、社会の協調性とか、家庭の役割(家計のやりくりや育児)とか、

人間の精神的成長は年齢と比例するものではなく、誰だっていつだって成長段階の未熟な部分はあるはずです。受験も仕事も恋愛も育児も老後も死も、全てがみな初めて経験するわけですから。

______

先送りをできるだけ避けるため、意識の持ち方とは別に、精神的な余裕を維持することも重要です。

一時的ではありますが、下記の小手先テクニックで先送りを抑制する、もうちょっと踏ん張ってみるなんてこともできるかもしれません。

太陽にあたる、音楽を聴く、本映画ドラマなどの物語に触れる、友人と話す、少し美味しいものを食べる、数分でも新しいことをやってみる、香りを取り入れる、デスク上や家具の配置を変える、小さなペットを飼う、トイレで発狂してみる、お風呂で大熱唱、とか。

 

私は最近、心の余裕を維持するために、

「いま目の前の仕事は、命を賭けるような人生の晴れ舞台に繋がるのか?ふさわしいのか?」を意識しています

(こう思うようになったきっかけには、好きな歌手グループが引退ライブで泣きながらこれまでの全力をぶつける姿に心を打たれたことにあります)

なので、私のゼミ準備はこれから雑魚クオリティで仕上げに入ります。これで留年させられるわけではないので、無能レッテルを貼られても、人の印象なんてすぐ変わるので、余裕のあるときにレベチな準備と発表をすればいいだろ精神です。

 

---終わりどころの見えない話が続き申し訳ないので、最後に最近の社会をみて(あくまで個人的に)思うことを述べて終わろうと思います---

これまで周りに、引きこもりと自傷行為で現実逃避を続ける学生を何人か見てきました。

社会人でも何らかの精神的理由で長期休暇される方もいました。

特に、学生に多くみられたのは、教員のパワハラ(人間関係)や、この先将来なにしたら良いかわからない悩みが膨らみに膨らんだが故の突然フェードアウトが多かったです。自分は何が好きか、自分の存在意義はどこにあるのか、それが将来に繋がるのか、といった私たちを苦しませる問いかけはいつも突然にやってきて、今すぐ答えを求めらるような圧迫感を与えます。

 

私はあまりできた人格ではないので、家や友人に関わること以外は、いつも最悪辞めればいいやの精神を心がけています。まあそうはいっても、多少の健康が犠牲になってしまうことは仕方ないと許容するわけですし(3年近く切れ痔が止まらないなど笑)、時にはこのレイアウトをもう少しこうして、、とかしょうもないことに夢中になってしまうものです(※このブログもブーメラン)。

何が言いたいかというと、自分が自分ではいられなくなるほどに社会に心までを売る勇気は、残念ながらないということです。

何となくこういう文章を書いている時点で、私も既にメンタルがやられているかもしれませんね汗

このような考え方は、資源豊かな日本だからこそ許されるものなのかもしれません。紛争も現代奴隷も人種迫害も食糧不足も水衛生も伝染病の蔓延る医療格差ともかけ離れた、世界の現状をことばだけで知ったような平和ボケした教育が私たちの基礎になっているからこそ、何をしたらいいか決めなくても問題ない、たとえ目の前の環境を辞めても別の環境で新しい生活を送れるわけです。

平和ボケと言えば、昨今の昆虫食と環境問題を絡めた社会貢献の話があげられます。ある昆虫食ベンチャーの社長は、環境問題の壮大さを語っている手前、昆虫食の在り方を軽いレベルで論じていたチグハグ感を露呈させてしまい、大勢が意見してそこそこ炎上したことも、いかに日本が平和な国か説明できるはずです。(※筆者はこの話題と無関係な人間です)

つまり、世間が建設的でもない話題で盛り上がれる程度を考えれば、小さな社会コミュニティの中で生活が苦しくなるほどに精神をすり減らす必要はないはずです。

いま現在、身近で関係ある人が自分の将来のために身を削って何かしれくれるわけでもなければ、死ぬ時まで共にしたい、尽くしたいと思える方がいるわけでもない、のであれば、ちょびっとづつでも今自分がすべきこと、できること、心が動かされることに時間を使ってみるのはどうでしょう。奥さん旦那さんと一緒にご飯食べながらいつもより少し長くおしゃべりしても良いかもしれません。学生時代の友人に自ら電話してみたり、遊びに誘っても良いかもしれません。自分にとって何が気持ちを揺さぶるのか、自分でいられると感じるのかは、思っているほど、近くにあるものです(彼女彼氏、子供、父母や祖父母、友人、ペット、趣味、仕事?)。自分を自分たらしめるものをもう少し丁寧に生活時間に取り入れてみるように、思考を変えてみるのもアリかもしれません。

私の環境では、みな仕事上の責任を失わないよう動くことが最優先で(当然です)、それ以外は知ったこっちゃないと言わんばかりに不必要に他人の心をエグってくるの個人プレイヤー方が多いので、おかげでドライな判断がしやすいように思えます。むしろ近年では、人情で圧力をかけることがパワハラになることを考えれば、ドライな判断を是とする世の中になるべくしてなった?

 

職場に人たちは基本人間関係においてはドライであると考えていると、本当に私が大切にしたいのはなにで、それはどこにあるのかが見えてくるように思えます。

 

心が落ち着いたのでゼミの準備をしようと思います、、

 

頭の中を一気に吐き出して長文になってしまいました、、

ここまでお付き合いくださった方には心より感謝の気持ちを込めて、ラブを送ります。

肩たたき券1枚分に相当するので、使うときは埼玉県まできてね。

 

はあ宝くじ当たんねーかなー